TOKIOに関して思うこと~2ヶ月後編~

今年の5月6日をもって、TOKIOは4人になりました。気持ちが落ち着いてきたので、当時のことを思い出しながらこの記事を書こうと思います。

 

騒動が起きてから、山口さんの会見があって、ビビットでは連日の報道にたいちゃんが悔しげに顔を歪ませ、時折涙を零しながらコメントして。立ってられるのが不思議に思えるぐらいボロボロになった4人による会見を見て、山口さんの辞表の保留を知り…と、あまりにも激動の日々でした。今後の仕事も音楽活動も真っ白になろうとも、被害者の方々に誠心誠意を尽くそうとする彼らは私の大好きな彼らで。1つの音のために楽器を置いてしまう彼らは私の大好きな彼らで。だからこそ、見るのが辛かったです。全員顔色が悪かったし、ただでさえ私よりも細い(当たり前)のに一回り痩せたような気もするし。

毎日更新されるはずのタヒチが2日連続で更新が途絶えました。4月27日に更新されたものは、想定していた通り、謝罪の言葉で埋められていました。タヒチを楽しみにしてくださっている方々へ、更新できなくて申し訳ない、と。時間はかかるけど、いつも通りに戻れるようにするから待っててほしい、と。ほぼ毎回のように添付されていたたいちゃんの写真がない更新が続き、5月2日の更新は改めての謝罪文でした。自分のことは二の次三の次。

メールが来たのは夕飯時。家族との出先で見ました。辞表の行く末は、てっきり年単位でのお預けだと思っていたのに。思った通り、母と妹は外出先にもかかわらず涙目、いや、泣いてました。私はいつかの未来での山口さんの復活を願っていました。こんな早く、決断がでるとは。想定外すぎて、涙よりも先にため息が出ました。なんとなく、こうなる気がしていたし、想定していたから。メディアよりも先にファン宛てのメールでの発表は、果たして私たちにとっては幸せだったのでしょうか。ネットでの心無い言葉を見ることや、何も知らないくせに憶測でものを語られるよりかは、幾分かマシだったのでしょうか。宙ぶらりんにされて、何年間も放置されるより恵まれていたのでしょうか。

母と妹の前では「しょうがないよ、こればっかりは」と言っていた私は、帰宅後部屋の中で一人で泣きました。しょうがないとは思いつつも、最終的にはやっぱり悲しさが勝つんですね。いつか、以前のように毎週月曜と水曜の朝は山口さんのZIPが見れる日が来ると思ってました。DASHでは棟梁を務めて、ハイスペックなスキルを遺憾なく発揮し、本業はベーシストなのか第一次・第二次産業における先導者となるべき一職人なのかわからないと毎回のようにイジられる姿を見れると思っていました。こんな唐突に訪れる、あっけない最後なんてあるのかよ。中丸くんの言ってた通りだったなあ。何年一緒に居ても、苦楽を共にしても、結局は一人の人間でしかない。踏み込めない境界が誰しもあって、それを前にするとどうしようもできなくなる。「山口達也」に限界が来ていた。おそらくそれは4人にも言えることだったんだろうなと思った。

山口さんはリーダーに辞表を託しつつも、後日ジャニーさんに直談判に行った。託された側の4人は、自分たちだけでは決断は出せないという結論に至り、最終的にジャニーさんの判断を仰ぐことにした。リーダーと山口さんとジャニーさん。どんな話をしたのだろう。どんな雰囲気だったのだろう。やはり重たい空気なのだろうか。5人の将来が決まってしまうのだからピリついてもいたんだろう。決まった瞬間どんな気持ちだったかな。たいちゃんは山口さんから「TOKIOを守ってくれ」と言われたと話してくれたけど、それを新たに託された時のたいちゃんの複雑さったらなかっただろう。山口さんはその願いを託したあと、何を思ったのだろうか。TOKIOでやり残したことはないんだろうか。まだやりたかったこと、たくさんあったはずだよね。辞めたことを後悔してないだろうか。辞めたくなかったよね。どうせなら、こんな形ではない辞め方をしたかったよね。記者会見の時にメンバーの名前を口走っただけで涙が出る人だもんな。大事なメンバーの前から潔く去るという方法しか思い浮かばなかったんだろうな。自業自得、と言えばそれまでだけど、死ぬほど辛かっただろうな。

リーダーが福島に赴いて、お世話になっている農家さんに事の顛末を話してる時の背中。目を閉じて、何もしゃべらず、頷くことしかできない、アラフィフなのに、ベテランなのに、まだまだこれからって時に、俺は一体何してるんだろうとか思ってたのかな。あんな顔見たくなかった。見ることないって思ってた。記者会見より悲痛な顔してた。農家の方々がどこまでも優しかった。昭雄さんに顔向けできないって思ったんだろうな。生きてたら怒鳴ってくれたかな。うんうん、と慰めてくれたかな。

米作りの代打はたいちゃんだった。番組が言うには実に六年ぶりらしい。(米の品評会以来なのかな......)知識はあるのに、ブランクがあるから手つきはおぼつかなくて、まわりにどんどん先を越されていたけど、農家さんとの関係性や、お米に対する姿勢と愛情とかは変わってないみたいで良かった。帯番組の所持によってスケジュール調整があまり効かなくなっている中でよく決断したな......と思うと同時に、山口さんがいなくなってしまった現在リーダーの次に年上なのはたいちゃんになった事実に気づかされた。TOKIOの三男坊が次男に。山口さんの願いはたいちゃん「に」託されていたのだろうか。リーダーのサポート、年下二人を見守る役目をたいちゃんに渡したということなのだろうか。朝番組、DASHの地方ロケ、次男としての役目......。山口さんの背負っていたものは、あまりにも多い。一つひとつが大きい。重い。真ん中は真ん中で上からも下からもプレッシャーをかけられて重圧だったのに。今後はまた違ったプレッシャーを浴びてたいちゃんは生きていかねばならなくなってしまった。たいちゃんなら、と思ってはいるけど、また病院にお世話になってしまわないだろうか。それだけが心配です。

山口さん。今何してるかな。元気にしているかな。あの頃よりかは生きた心地がしているのかな。ちゃんとご飯食べれてるかな。寝れてるかな。療養にきちんと励めているかな。自分自身にちゃんと向き合えているかな。やるべきことをやれているかな。あなたが空けた穴はどうしようもないぐらいにデカいです。4人での仕事を貰えてはいるけど、やっぱり違和感を覚えてしまいます。人生の半分以上をかけて見てきたTOKIOは5人なので、二か月経ったとはいえ、まだ慣れません。世間は山口さんが空けた穴を塞いで平静を装っているけど、私には時間がもう少しいるようです。

TOKIOにずっといてほしかったのに。長瀬くんの隣に立って、どっしりと周りを支えて、おなかの底が痺れさせるようなベース音を響かせてほしかったのに。透き通ったのびやかな高音をもっと聴きたかったのに。歌ってほしかった曲いっぱいあったのに。メンバーに囲まれ、照れくさそうに笑ってる顔見たかったのに。たいちゃんの誕生日一緒に祝ってほしかったのに。クリスマスも、年明けもいてほしかったのに。

TOKIOは今でもあなたの誇りですか。胸を張ってTOKIOが好きだと今でも思ってくれていますか。

私はダメなオタクなんで、あなたがいつかベースを握ってステージに帰ってきてくれるんじゃないかって今でも思ってるんです。アイドルではなくなったあなたに、依然として夢を見ているんです。迷惑ですよね。笑ってください。

死なないでください。どうか生きてください。幸せに生きてください。

たいちゃん。頑張ることは良いことだし、忙しいことも良いことだけど、無理はしないでね。これからもつらくなること、泣きたくなること、死にたくなること、いっぱい出てくると思う。きっと格段に増えると思う。どうか一人で抱え込まないで、周りに頼ってね。頼ることは力量不足を認めることにはならないし、悪いことじゃない。泣きたいときは泣いて、笑いたいときにはたくさん笑ってね。リーダーがいる。松岡さんがいる。長瀬くんがいる。一歩ずつ、進んでいこうな。もう壊れないもんな。壊させはしないもんな。

帯やってるたいちゃんも、お散歩してるたいちゃんも、司会してるたいちゃんも、バラエティーしてるたいちゃんも好きだけど、やっぱりキーボードを弾くたいちゃんが一番好きだよ。下ハモで歌声を支えてくれるたいちゃんが好きだよ。キーボードのまわりに動物の小さなフィギュアを置くたいちゃんが好きだよ。音楽してるたいちゃんが好きだよ。たいちゃんの作った曲聴きたいよ。やってほしい曲たくさんあるよ。AMBITIOUS JAPAN!や宙船以外にも、たくさんいい曲あること知ってほしいよ。

 

まずは、次のシングルだね。

来年には音楽番組出れるようになってたいね。

アルバムも出せるようになってたいね。

 

結局のところ、健康で幸せでいてくれれば、それでいいんだけどね。

 

 

 

TOKIOに関して思うこと

2回目のはてブロ更新がこの話題になるとは思っていませんでした。しかし、中丸くんのアナザースカイの際にいろいろ思ったことはあったのに、文章どころか言語化すらできなかった自分のせいです。ここ数日に関する独り言です。

 

UNIONが終わり、現実に引き戻されたおかげで、いつもの如くライブロスを味わいながら就活していた私。会社説明会が意外と早く終わったため、少し寄り道をして、さあ帰ろうと駅に向かい、何気なくTwitterを開いたら思わず目を疑う文字が飛び込んできた。

 

山口達也 強制わいせつ容疑で書類送検

 

血の気が引いた。リアルにスマホを持つ手が、さあっと青くなった。嘘だろ。普通にZIP出てたじゃん。どういうこと。そこから調べていくと、事件は2月に起こり、酒に酔った山口さんが番組の共演者と思われる女子高生にキスを迫り、それによって被害届が出ていた。現在は被害届が取り下げられていて、示談が成立しているということが分かった。山口さんがわいせつ行為?セクハラ?意味わかんない。一番そういうのをしっかりしている人だと思ってたんだけど?何で。どうして。

結局一つも理解ができないまま自宅に帰ると、私の姿を見るなり母が泣いた。母はトキオタである。特にリズム隊(松岡さんと山口さん)が好きだった。私は母の影響でトキオタになった(当時の私は幼稚園生)。TOKIOは私のジャニオタ人生の入り口だった。

気持ちの整理がつかなかったから、というのを言い訳にして許されるのなら、私は最初ハニトラだと思っていた。女子高生とはいえ、親の同伴なしに夜が深くなっていく時間に山口さんの家に行くなんて。普通、親に一言言ってから行くもんだろ。なんて思ってた。正直なところ。でも、よくよく考えたら、酩酊状態だったとはいえ、最終的に手を出してしまった山口さんが悪いとすぐに思い直した。手を出したやつが負け。山口さんは完全に黒だ。女子高生が警察に通報したことは間違っていない。彼女はちゃんと正しいことをしたのだ。

事務所からの短文の謝罪文に若干苛立った。一体誰書いたのかわからないが、何処の方に向かって謝っているのかがわからなかった。メンバーからのメッセージがジャニウェブで公開された。頭の中は真っ白で、何も入ってこなかった。だけど、4人それぞれショックを受けていて、悔しさや怒りがにじんでいたような気がした。長瀬くんのコメントに「25周年に向けてアルバムやツアーを制作していた」とあったことぐらいしか記憶にない。幼稚園の時からずっと好きな国分太一(以降、たいちゃん)のコメントに何が書いてあったかを覚えていない。

ビビットでのたいちゃんは1日にして疲れ切った表情だった。黒い地味なジャケットに、白ワイシャツ、黒ネクタイ。いつもの恰好じゃない。当然のように山口さんの事件に触れるアナウンサー。彼は仕事を全うしているだけだとわかってはいたのだが、コメントをしながらどんどん表情が曇っていくたいちゃんを見ていたら、福島のPRポスターをはがしていく映像を見たたいちゃんのあの顔を見ていたら、悔しさのあまり思わず泣きだしたたいちゃんを見ていたら、アナウンサーや共演者、番組スタッフ全員を一列に並ばせて、一人ずつ殴りたくなった。見ていられなかった。何でたいちゃんが謝らなくちゃいけないんだ。何でそんな顔させるんだ。でもたいちゃんは、「何があっても連帯責任だ」と言った。中丸くんも後にシューイチで言及していたように、私もその意見については賛成だと思った。中丸くんのコメントのような理由を抜きにしたって、きっと彼は、彼らは「連帯責任」を選んでいたと思う。23年間、それ以上の時間を連れ添ってきた仲間の不祥事を、たった一人に背負わすようなことはしないだろうと。グループとして責任を取るだろうと。そんな気がしていた。たいちゃんがスタジオ入るなり、共演者に謝り倒したり、別の報道番組で「擁護しなくていい、思ったことを喋ってくれ」と後輩などに連絡を入れていたことは、きっと世間からしたら当たり前のことなのだろうが、私はこういう対応ができるたいちゃんを、TOKIOを誇りに思っている。

山口さんの記者会見は、動画はいまだに全部を見れていないし、全文も読めていない。読むのも見るのもつらいという単純な理由だ(落ち着いたら全部読みます)。それでも、否が応でも、報道番組では記者会見の映像が流れてくる。これも断片的にしか見れていないのだが、私は一体誰の記者会見を見ているのだろうと思った。堂々としていて、男らしくて、筋を通すしっかり者という印象は、単なるイメージでしかなかったことに気付かされた。マイクを握りしめ、カタカタと小刻みに震えながら、涙を流して。「山口達也」がいなかった。おそらくあれが彼の素の状態なんだと、今は思う。記者に包囲された状態で、弁護士の付き添いのもと、できる限り受け答えをしている。声はか細く、弱々しくて。46歳のいい大人が泣きじゃくる姿を目の当たりにした私は、もう何も考えられなかった。とりあえず、あの時点では刑事処分が決まってなかった、その中で記者会見を開いたことは彼なりの誠意だったのだろうと思う。

翌日のビビットでは、記者会見を見たたいちゃんの厳しい言葉が流れた。グループ活動の再開を希望する発言に関して、「そんな甘えたことを山口からは聞きたくなかった」。リーダーはもっと苦言を呈していた。そして、4人での謝罪会見(これも全文はまだ読めていないので、落ち着き次第確認します)を見たとき、リーダー以上に怒っていたのは、山口さんを一番慕っていた松岡さんだった。そりゃそうだ。涙を流しながら、あんなに憤りを露にするのは、一番慕っていたからこそ以外に理由がない。甘ったれた考えが通るTOKIOなら、一日も早くなくした方がいいとまで言わせてしまっているのだ。長瀬くんは、静かに淡々と被害者への配慮を願っていた(ここ一週間のことを聞かれて、一週間のスケジュールを話すというような姿勢は相変わらずだった)。たいちゃんは、事件の詳細が分からぬまま、一番最初に騒動に関して謝罪しなければならず、厳しい態度でいなきゃいけないと分かってはいるけど、手を差し伸べてしまいそうになって自制することを繰り返し、毎日毎日それが起こっていると複雑な心境を明かしてくれた。甘い考えだと言い放ったあの発言に対しても、もはやどう聞いていいのか、彼自身も分からなくなってしまっていた。心も体も疲弊しきった4人の姿。メンバーはニュースになるまで事前の報告はなかったものの、連帯責任という意思を固めたこと。30日に5人で集まったときに、山口さんが土下座して謝り、かばんから封筒を取り出した。「退職願」と書かれた辞表をメンバーに渡して、「これ以上迷惑かけたくないからTOKIOをやめます、やめさせてくれ」と言った。辞表はリーダーの手元にあって、処遇はまだ決まっていない、と。私がこれを聞いて思ったことは、松岡さんが会見でこのことに関して述べていたこととほぼ同じだった。泣いた。泣くだろうなとは思っていたが、私の泣きのピークはそこだった。どこまでもずるい人だと思った。事件が発覚しても、無期限謹慎が決まっても、会見の場で甘えた考えを口走っても、山口さんを嫌いになれなかったのに、辞表をメンバーに託して辞めるだなんて、4人が結論をすぐには出せないと、多少なりともわかってたはずなのに、責任を取って辞めるだなんて、迷惑をかけたくないからって、どんだけ甘ったれなんだよ山口さんは。全然嫌いになれてないけど。

辞めることは簡単だ、と彼らは言う。何度も解散しかけたけど、その度に話し合って、難しい方(継続する)を選んできた、と彼らは言う。それを踏まえてると、尚更思う。どうか逃げないでほしいと。責任を取って辞めるというのも、一つの選択肢としてはあると思う。けど、グループに所属している者として、グループに所属し続けて、また信頼してもらえるように努めていくのが筋ってものではないのかと私は思う。4人が折角矢面に立ってくれているのだから、それ相応のものをメンバーに、グループに返していくべきだと私は思う。こんなに大切に思ってくれているメンバーのもとを、簡単に離れるなんて言うなんて、と私は思う。けれど、山口さんは山口さんなりに必死に考えたのだろうと思う。考えた上での決断だと思う。きっと他のグループのあの時も、あの時も。めちゃくちゃ悩んだと思う。気持ちは分からなくもない。事前報告をしなかった山口さんの気持ちも、何となく分からなくもない。山口さんの頭に、何回メンバーの顔が過ったのだろうか。その度に、迷惑をかけてはいけない、心配をかけたくない、怒られたくない、自分で何とかしなきゃと思っていだんだろうなあと思う。しかし、事は想像以上にデカくなりすぎた。手に負えなくなってしまった。もうどうすることもできなかった。

いずれにせよ、山口さんがちゃんと自分と向き合って、被害者とそのご家族に向き合って、お酒と向き合って、罪と向き合って、これから生きていってほしいと思う。築き上げてきたものを崩壊させた事の重大さを、死ぬまで噛みしめてほしいと思う。そして、山口さんには真正面から向き合ってくれるメンバーがいるという事実を生涯忘れないでほしいと思う。

 

待つことしかできず、好きな人たちの健康と幸せをただただ祈ることしかできないオタクの独り言です。いつでもいいから帰ってきてください。できれば5人で帰ってくることを、そんな未来が来ることを願っています。

 

 

戯言以下

三年前。それは当時同級生だった友達がファンであったことから始まった。幼いころから親しんできたジャニーズ。何かと感化されやすい自分の世界に新たな島が三つ出来た。そのうちの一つが「KAT-TUN」だ。ファンではなかった自分だがもともと気に入っていた曲はあり、それらを聴きたくて友達にアルバムとシングルを借りた。あの時自分は何のためらいもなく、目当ての曲だけではなく貸して頂いたCDの中の全曲を音楽プレイヤーの中に落とし込んだのだ。そうしていなければ、自分は後に起こる二年前のあの事を、あのシューイチを視界には入れていなかっただろう。

初めて四人で立ったスタジオでのVTR。それぞれの思いを口にした四人。決意の表れだった初めての単独カウコンと、ファンミーティング「新春勝詣」。その直後に自分は何枚もやり直して一枚の振込用紙を書き上げていた。映像の中でも、足を運んだ会場の中でも、彼らは自分に素晴らしいものを見せてくれた。徐々に(去っていった彼らも踏まえて)彼らに対しての愛情が増していることに気付いたのは、そう遅くはなかった。

あの紙には四人のうちの一人の名前を書いていた自分だが、今更ながらに思うこと。

自分は四人のKAT-TUNが大好きだ。


あの日を境に、これがもうすぐ「過去」になってしまうとは、予測していなかった。あのいつものにこやかな顔は覚悟を決めた一人の成人男性の真剣な表情に変わっていた。隣にいた三人の硬く、何回も見ていく程に悔しさや悲しさがもうあふれ出す一歩手前だと感じざるを得ない表情。いつものように笑顔で華麗に踊る彼と、声もダンスも様々な感情を浮かべた顔も全てが痛々しかった三人。涙なんて出てこない。「なんで」「どうして」「嘘だ」が頭を埋めていた。

ラブメドレーのかつんは殊更見ていられなかった。顔や歌声、ダンス、サビでのフォーメーションまでが三対一になるなんて。ああもう見られない。こんなにかっこいいのに。こんなに見ていて切なくなるのは初めてだった。

終わった後、ひたすら泣いた。フォロワーさんを困らせているのはわかっていたが、鼻が詰まるまで大泣きした。訳が分からなかった。悲しかった。切なかった。悔しかった。次の日も泣いた。LINEで大量のメッセージを送ってしまった。その都度思い出されるのは、キラキラした楽しそうな笑顔と、彼がどれほどKAT-TUNを愛していたか。

なかまるくんのことを「お兄ちゃん」だと思っていると言ってくれた。一緒にプライベートでも遊んでいた。彼の抱える責任感の話を隣で聴いていた。うえだくんにずっとマコリーンしていた。不器用なツッコミに嬉しそうな顔をしていた。うえぴーうえぴー連呼して弟みたいだった。かめちゃんと一緒になってボケていた。笑いを取りに行って笑わせてくれた。仕事とプライベートで呼び名を変えていた。

クォーターの時の吐く件で「楽しいな」と口にしていた。本当に楽しそうだった。いつもいつも。ずっとそうだった。


ねえたぐちくん。

じゅんたぐであなたの気持ちを少しだけ見れたような気がするけど、自分が馬鹿なだけなのかな。理解できないよ。納得いくほど整理がつかないよ。もっと知りたいよ。どうしてこうなったのか、あなたの口から、その優しいトーンで、聞かせてほしいよ。欠けてほしくない。もっと見ていたいよ。もっともっと魅了して、ついて来いよって言ってほしい。

でも、もうこれ以上言うつもりはないんだろうね。それだけは何となく感じた。

嫌いじゃなくて、最初からずっと好きだったことは忘れないから、最後まで完璧にKAT-TUNをやり遂げてください。そしてその時にはちゃんと「さよなら、ありがとう」って言わせてください。

これからの予定も何もかも未定だけど、もし存続して三人のKAT-TUNになったらこれまで通りに愛せるのだろうか。まだわからないぐらいには立ち直れてはいないが、きっと今よりもっとすごいものを彼らは見せてくれるはず。ハイフンと名乗り出してからまだまだ日は浅いけど、彼らがいかにやってくれる人たちだか身をもって学習したつもりだから。できることをして、悔いを残さず、華々しく十周年を迎える用意をしていこうと思う深夜帯。皆様いかがお過ごしでしょうか。